偏好文庫-「好き」を解釈し続けるメディア-

いろんな“好き”を愛するための(ひとり)メディア、偏好文庫です

感想文:『ARASHI Anniversary Tour 5×20 FILM “Record of Memories”』:約18年の茶の間オタ人生があっさり報われてしまった

■前口上:嵐と僕(茶の間オタク歴18年目)

嵐を18年ぐらい追いかけ続けています。画面越しに。

言わずと知れた国民的アイドルグループ、嵐。今更説明するまでもないぐらい有名だし、多分ここに流れ着いてくれたようなあなたはきっと既に彼らのことを好きか、好きまではいかずとも憎からず想っているはずなので彼らについての詳細は省きます。“彼ら”とか、おれあいつらのことよく知ってんぞ風情を感じる代名詞使っちゃうぐらい、僕の生活には彼らの存在が密接になっています。
小学校高学年であの名曲『サクラ咲ケ』を耳にし、パワフルな歌声とやたら元気そうな、仲の良さそうなMVでの振る舞いを目にし、そして当時土曜日の真昼に放送されていた冠番組での楽しそうな様子を毎週観て……気がついたら18年が経っていました。
音源が出れば必ず買い、多い時で週に3本もあった冠番組はほぼ毎回録画してチェック。ライブDVDも大体持っていて、一時期は何度も繰り返し観ていた。今はすっかりいわゆる邦ロック好きの僕だけれど、一時期ほど熱度は高くなくなっても、彼らが活休に入っても、ゆるくずっと好きだ。
好きになったものやひとは信頼出来る誰かと共有したくなるのがオタクの性で、僕は当時まだ少し――誤解を恐れずに敢えて悪い言葉を使うと、落ち目の状態だった彼らの存在を、幼稚園児の頃からの仲である幼馴染みと共有した。中学生以来彼女も僕と同じようにゆったりと彼らを追いかけ続けているが、彼女は一度か二度だけ彼らのライブに行った経験があった。彼女は当時、一緒にファンクラブに加入した家族と一緒にライブに行くことになったことを「誘えなくてごめんね」と申し訳なさそうに打ち明けてくれたが、あの争奪戦を勝ち抜いて僕の分までチケットを確保しろと言う方が無茶なわけだし、流石にいいなあとは思えど、思いのほか羨ましくはなかった。
そんなこんなで、未だに彼らのライブを実際に観に行ったことはない。いわゆる“茶の間オタク”ってやつだ。しかも、ファン仲間ともSNSなんかで交流すれど、半年も続かない。フォロワーからひとりふたりと姿を消し、気がつけば件の彼女しか周囲にいなくなっていた。
長いファン歴ではあるけれどこんな感じのぼんやりとしたノリでい続けているのは、キラキラとしたジャニオタ界隈の雰囲気についていけなかったところが大きい。今追いかけている対象(主にバンドマンやシンガーソングライターなど)にもかなりアツい感情を向けているタイプのオタクではあるけれど、女性俳優と共演したり髪形を変えたりしただけでネットニュースになるような界隈で、平穏にオタ生活が続けられるようなメンタルは僕にはなかった。だから仲間も幼馴染み以外に必要ないし、物理的にいわゆる“沼”が可視化されてしまうライブやイベントの類に足を運ぶ気もない。これからたとえ彼らがいつかまた活動を再開したとしても、無限に茶の間で構わないとすら思っている。

しかし――いわゆる“邦ロック”界隈で経験した、ライブにしかありえないあの高揚感を、彼らの現場でも一度でいいから得たいという欲求がないと言えば嘘になった。みっしりとした観客の熱気、薄暗いハコの空気、色とりどりの照明、湧き上がる歓声、舞台の上で舞い踊り歌う、煌めくような生命の息吹――。
ゆるふわぼんやりとしたオタクのまま、それを味わいたかった。

前置きが長くなってしまい申し訳ありません。そんな我儘ゆるふわ嵐ファンの僕にとって、お誂え向きすぎる映画が昨年末より公開されていたのでした。
『ARASHI Anniversary Tour 5×20 FILM “Record of Memories”』
この長~~~いタイトルの映画。いわゆる音楽ライブの、記録映画というやつです。この得体の知れない長~~~いタイトルの映画を、僕はこの18年間待ち続けていたのかもしれません。





(めっちゃ推し色ファッション)


■初めての“ライブ記録映画”。「ライブDVDと同じだったらどうしよう……」と思ってました

とはいえこれですよ。ほんとそう。一時期はすり切れる程観たライブDVD。それをただ映画館で上演されているようなものになってしまっていたら……あまりの期待感の高さにそれだけが少し不安でした。だってライブの模様を映像に収めただけなわけでしょう?
会場は東京ドーム。夥しい数の映画撮影用機材を持ち込み、日本を代表する映像カメラマンがその場に集結し、その総指揮を執るのはあの堤幸彦監督。嵐が主演した映画やメンバー出演ドラマ――『ピカ☆ンチ』シリーズやニノ氏主演の『Stand Up!』(大好き)など――の演出も務めた、僕も敬愛してやまない映像監督です。そんな鳴り物入りの最高のシチュエーション、真偽のほどは定かじゃないがその日は日本中の映像撮影現場からやり手のカメラマンが消えたとすら言われていた程の作品。しかし公式からの前アナウンスがギラッギラのゴリッゴリだった作品でそのアナウンスを越えてきた試しなどないのが相場ってもんだ(そうなの?)。そもそも嵐のライブ映像なんて有名な映画監督が撮らんくても最&高に決まっていることはこれを読んでくれているあなたならわかるはずだ。しかも僕はこの時勢い余って件の幼馴染みの分までチケットを獲ってしまった!! 当然のように笑顔で応じて一緒に映画館へ足を運んでくれた彼女の想いも裏切ってしまったらどうしよう……いやまあいずれにせよ最高であることは保証されてはいるわけだが、この高すぎる期待を越えてくれなかったら……どうしよう……と勝手に考えすぎてやや悩みながら当日を迎えたわけです(そのせいか最近新しくなった池袋の某映画館の場所を間違えて別の映画館に凸してしまったことは内緒なんだぜ)(幼馴染み「落ち込まないで、日本橋(にほんばし)と日本橋(にっぽんばし)間違えたようなもんだよ」)(ちょっと違う気がする)

しかし……

徒労でした!!! 期待以上!!! 完全にあれは“映画”でした……!!!

冒頭から既にちゃんと映画的な始まり方なんですね。ゆったりした映画館の椅子に包まれて、見上げたスクリーンには夕暮れの東京の景色。それが徐々に夜景に変化し、東京ドームの遠景に変わります。堤監督お得意の、早送りで空の色の変化を捉えるあのエバーグリーンな演出です。
流石堤さん!!!!!! 嵐をよくわかっておられる!!!!!! と数十秒前までほんのりと胸に秘めていた不安が嘘のように消えてゆき、早くも心の中で拍手を送っていると、景色は彼らが今までライブを行ってきた海外の都市や日本の都市の街並みに。ハワイにヨーロッパ、大阪、北海道……じきにカメラは引いていき、煌めく銀河に浮かぶ地球のCGが登場。演出が大袈裟すぎていっそギャグみたい。しかしそれがいい。それこそがいい。とんでもないSFスペクタクルが始まりそうだけれど、2020年大晦日に行われたあの配信ライブでも彼らは最後母星(?)に還っていったし、この時の嵐はそういう世界観だったのかもしれない。
ともかく、まだ彼らが出てくる前からワクワクする。これから伝説の一夜が目の前で再生されるのだと、いやが上にもワクワクさせられてしまう。

遂に開演の時!! ものすごい数のオーディエンス、溢れかえる星屑の海のようなペンラの光。遠くに見えるステージに嵐が登場……するかと思いきや! なんと!!! 視点が急に舞台裏に移動!! 今正にゴンドラに乗ってステージの上にせり上がっていくMJの真横から始まったものだから度肝を抜かれましたね。カメラに向かって茶目っ気たっぷりに合図してみせる世界のMJ。その奥に並ぶ4人。カメラは彼らと一緒にゴンドラに乗ってせり上がっていきます。
そうか、これはただただ嵐のライブパフォーマンスを高画質で捉えたものではなく、“彼ら”の目線と“客席”の目線を入り混じらせることで、“嵐のライブ”という現象すべてを捉えたドキュメンタリー映像なのだ、と感じました。冒頭の演出だけで既に監督がやりたいことがはっきりと伝わってくる。これは嵐のライブでありながら、きちんと堤監督の作品でもあるのだと。
そりゃ生ライブの空気には勿論替え難いだろうけれど、映画だからこその良さがあったと思います。堤幸彦監督だからこそ集められた精鋭のカメラマンがドローンまで飛ばして、堤幸彦監督だからこそ近づける距離感で嵐を捉え、流石の手腕で息継ぎや飛び散る汗まで感じさせる。きちんと“ライブ”だったし、きちんと“映画”でした。

■ディレクター松本潤の手腕の凄まじさとそれを活かしきるメンバーのポテンシャルたるや(もちろんプレイヤーとしてのMJもすげえ)

冒頭からさっそく僕の徒労を見事に砕き去り、堤幸彦監督ファンとしても大満足の走り出しだったわけですが、やっぱりライブ自体が良いから映像として映えるんですよね。これは言うまでもない。今や嵐のライブはひとつの一大エンターテインメントとしてファンだけでなく少しでもアイドルやジャニーズや舞台芸術の類に興味のあるひとたちの間では知られているわけだけれど、ファン以外に意外と知られていないのがその演出を一手に引き受けているのが、メンバーであり嵐が国民的アイドルなんて言われるきっかけを作った程の“ザ・エンターテイナー”“ザ・嵐”な男・松本潤であること。更に言ってしまえば、嵐に限らず――僕はあまりジャニーズ以外のアイドル界隈に決して明るくはないのだが、もしかしたらジャニーズにも限らず、なのかもしれない――多くのアイドルがメンバー自身のアイデアや意思をベースにライブの演出を組むのが当たり前になってきているようです。ともすればプロデューサーや作家の提示するパブリックイメージに従うお人形さんのようなイメージを持たれがちな職業であるアイドルだけれど、彼ら彼女らの息吹は確かに舞台の上に鮮明に表されているんじゃないかと思う。
当然ながら、嵐のライブの演出をつける際にも、MJはメンバー全員からアイデアを募り、たくさんのスタッフの方や作家の方などと話し合い、5人とそれを支えるすべてのひとびとの英知の結晶としてライブ演出を作り上げています。これはファンの間では割とよく知られていることなのだけれど、嵐はメンバー自身が誰よりも“嵐”というエンターテイメントグループのファンなんですよね。当然MJもまた“嵐のファン”なのでファン心理を知り尽くしているし、そこに加えて自分を含めメンバー自身の特性やキャラクター、パブリックイメージまでをも知り尽くしているんですよ。当然ですね。だって彼自身が“嵐”なのだから。ちょっと何言ってるかわからない。

たとえば最近すっかり毒舌マイペースおじさんと化しており(失礼)それもまたチャーミングなニノの、最大の武器である伸びやかで神々しさすら覚えるハイトーンが最も活きる『果てない空』のパフォーマンス。白を基調とした衣装で大ビジョンの前を颯爽と歩きながら歌い上げる彼の通る道のあとには、色とりどりの花が咲き乱れ、最終的には彼ら自身がまるで花の一部のように彩られて呑み込まれていきます。ニノが歩く道に大輪の花が咲いていくさまはまるで魔法のようにも見えるし、高村光太郎のあの有名な詩の一節「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」(『道程』)を思い出したりもしました。
たとえば、大野さんのソロダンスパート。歌も唄わずメンバーもジュニアも登場せず、光や映像のシンプルな演出で踊りまくるまさかのSST(スーパー智タイム)にめちゃめちゃびっくりした。同行の幼馴染みは古の大野担なので大層ぶっ飛んでおられましたね。改めて彼の身体能力の高さ、音楽的センスの高さに驚かされました。ダンスが上手なひとって、ジャンプに重量がないんですよね。まるで羽根のような軽さ。よく知ってるつもりだったけれどやっぱりすげえやリーダー。
たとえば、ご本人曰く「もうライブでは披露しない」とのことだった櫻井翔さんのピアノタイム。今や世間一般的には知性的なイメージが強いであろう彼の、バチバチのライブパフォーマンスに耐えうるために仕上げられた張り詰めた筋肉がギュッと固くなり、白鍵と黒鍵だけに真っ直ぐに立ち向かっているのがよくわかる横顔と、お衣装から剥き出しの腕がなんかもう堪らんかったですね。想像以上の繊細で正確なタッチ、髪から滴る汗。言い忘れてたんですが、僕小学生の当時から櫻葉担(櫻井翔さんと相葉雅紀さんのコンビに熱を上げるオタク)でした。
たとえばMJご本人がオーケストラ演奏に指揮をつけたあのワンシーンにもグッときました。僕は完全にポップス/ロック育ちなのでクラシックには明るくないのだけれど、そんな素人の僕の目にもかなり完璧な、玄人裸足の指揮っぷり。「新作映画で指揮者の役入ってます???」という感じの身振りの完璧さはさることながら、錚々たる演奏者の方々を前にしながらも、とっても楽しそうなピカピカの笑顔でのびのびと指揮棒を奮っていらしたのが印象的だった。きっと想像だに出来ないほどの練習量を熟されたのでしょうが、それを一切感じさせない完璧な“松本潤”っぷりでした。

いやでも、それよりなにより特に衝撃的だったのは『I’ll be there』パフォーマンス前に挿入された相葉さんメインによるドラマ映像パートですよ。先刻の通り櫻葉寄りの相葉担たる僕なので贔屓目も大いにあるかとは思うのだけれど、流石にあの件は本気で「……何???」って声が出たね。同行の幼馴染みは「黒相葉」と名付けていましたが……マジであれは“黒相葉”でした。何???
白黒を基調としたファンタジーな室内に閉じ込められたメンバー。テーブルや椅子など簡素な家具しか置かれていない室内を徐々に“黒”が蝕んでいき、影のように範囲を広げる“黒”に少しでも触れてしまうと一瞬で灰のように消えてしまう。“黒”から逃れようと策を講じるも、ひとりまたひとりと消えてしまうメンバー。しかし、その“黒”色を操り彼らを消滅させていたのは彼らの仲間であるはずの相葉雅紀さんそのひとなんですよ!?(!?)
最終的にメンバー全員を闇の中に飲み込んでしまう闇使いの相葉雅紀。映像のお洒落さはさることながら久しぶりに見た悪そうな笑みの破壊力が半端じゃなかったです。シックな正装に身を包み、あの長い長い脚を優雅に組んでソファに腰かけ、ゆったりと口角を上げる表情の美しさよ。最早性別すら飛び越えて悪女に見えてくる不思議。あの演出つけた松本潤何考えてんの??? 全国の相葉担を殺す気だった???
その後のパフォーマンスのカラフルなワッペン付きの探偵コート姿も美少女に見えたのは多分僕の目が彼の眩しさにやられていたせいだと思います。もうミルキィホームズだったもんあれ。しかしそれにしたって彼の40代を目前にしても一向に失われない透明感とイノセントさには美少女がそのまま成人男性になってしまったような感じがあると思うんですが何言ってんのか段々よくわかんなくなってきましたね???

少々取り乱しました申し訳ございません。やはり古(いにしえ)のこととはいえ自担の話になると止まらなくなりますね。ともかく何が言いたいかというと、松本潤の演出力は神がかっているよねという話なんですよね。そりゃジャニフェスの演出も任されるわ。
本編終わりのエンドロールに「総合監督 堤幸彦」と肩を並べるように「directed by 松本潤」の字面を目にした時、思わずほくそ笑んでしまいました。

■どんなに国民的なスターになっても

僕は普段ロックバンドを主に追いかけているオタクです。彼らへ向ける感情も、正直なところアイドルを推すことと同様に偶像崇拝であることに違いはないと思います。流石にアイドルよりもプライベートに於ける“完璧”をあまり求められていなかったり、彼ら自身が作り出す楽曲の方が前面に押し出されていて彼ら自身のキャラクターのありようはあまり求められていなかったりといった相違点はあるけれど、僕たちの目に見えている彼らは決して、必ずしも彼らの素顔ではないという点では一緒だと思っています。
だけれど、偶像であるはずの彼らの、“人間”としての意志の強さや思想やセンス、人間性とでもいうものに惹かれて推すに到ることは多いです。そこに人間的な生々しさを感じることで、自分の中で醸成された彼らの偶像が、より魅力的なものになっていくのだと思います。そして、この感覚はなにもミュージシャンだけに限らず、アイドルを推す時だって一緒なんじゃないでしょうか。

なにもアイドルだって、妄想の中に生きる完璧な偶像なんかじゃないはず。つるりとした美しい、凹凸のないマネキンなんかじゃないはずです。時にお肌に吹き出物だって出来るし、それぞれに譲れない価値観や感性、強い意志があるはずだ。時に過ちだって犯すし、それを乗り越えた過去だってあるはずだ。そんな生々しい人間じみた存在感を感じるほどに、ファンの心の中に生きる偶像も魅力的になっていくのだと思います。

僕は改めて映画館のスクリーンという大きな画面で嵐の雄姿を目にして、彼らは別にスターになるべくして、ゴリ押しされてスターになった訳ではないということを思い出しました。事務所に推されてなかった時期さえあったし、そもそもがメンバー5人中3人が事務所を辞めようとしていた過去のあるグループだったのだから。
それでも、彼らは諦めなかった。新たに目標を見つけ、夢を見て、そこを目指して地道に歩んできた。その道のりに花が咲いたからこそ、今の“国民的アイドル”の姿があるのだと改めて思いました。堤監督によって捉えられた彼らとの距離感、描き方によってそう感じさせられた部分も大きいかもしれない。

嵐は国立競技場でもライブを行った程のアイドルグループです。この映画で描かれていたのは東京ドームでの公演で、彼らはデビュー以来何度も何度もこの場所でライブをしてきました。いわば彼らにとってはある意味日常のような場所かもしれないですね。
だけれど、アンコールで肩を組んで汗まみれで楽しそうに笑顔を見せる彼ら5人を見ていると、それは単なる偏見だと気づかされます。たとえどんな舞台であっても、彼らにとっては一生に一度の晴れ舞台なのだと、少年のような5人の瞳の輝きが物語っていました。それは多分天皇陛下の御前であっても、小さな小さな音楽スタジオであっても、究極そこに貴賎はない。
そしてこれはなにも嵐に限った話ではない。どんなスーパーアイドルでもモンスターバンドでも、インディースバンドでも地下アイドルでも路上のシンガーでも、表現者にとってはハコの大きさなんて、究極論を言えば関係ないのです。より多くのひとに自分の表現が届いているという数字による証明にはなるが、彼らにとってはいつだって、一世一代の大舞台であることに違いはない。
どんなに国民的なスターになっても、嵐はずっと嵐のままでした。パジャマ姿で小さな楽屋に詰め込まれて、楽しそうに笑っていた嵐のままでした。自転車1台で日本列島を爆走した嵐のままでした。乳首の開いたTシャツを着せ合って苦笑いしていたあの日の嵐のままでした。だからこそきっと、彼らは国民的スターになれたのだと思います。

■茶の間冥利に尽きる体験でした

映画の中でも特に印象的だったのが、エンドロールの演出。歓声に包まれて歌う彼らの歌声をバックに、映像は流れずブラックアウトした画面の上を夥しい数のスタッフの名前が流れていく。それまでのパフォーマンス時には彼らの歌やお喋り、生演奏のオケをしっかりと聴かせるために控えめに調整されていた歓声が、エンドロールでだけは少し大きめに入っていたのが、本編を観てから数ヶ月が経過してしまった今でも鮮明に思い出されます。会場の熱気を、より強く感じさせるための演出だったのでしょうか。

そんなエンドロールが明けて最後。緞帳の向こうで肩を組み、笑顔を見せる5人の姿でこの映画は終わります。キラキラした満面の笑み。だけれどその向こう側に隠したそれぞれの感情を察することが出来るような、なんとも筆舌に尽くし難いグラデーションのような陰影の感じられる笑顔が、セピア色で捉えられています。そんな彼らを最後まで包むのは、怒濤のような歓声の渦。その黄色い叫びたちは幕切れの瞬間までどんどん増幅され、僕は胸の熱さと同時に俄かに恐ろしさのようなものすら覚えました。
彼らはきっと、凄まじい葛藤をそれぞれに抱えていたのでしょう。それでも、あの“場”に立つことが何よりも楽しかったのだと思います。何よりも大切で、何よりも楽しい時間だったのだと思います。彼らの気持ちなんて勝手に想像することしか出来ないただのいちファンでしかないけれど、あの笑顔を目にしたらきっと誰だってそう思うし、そう思いたくなるはずです。


映画を観た後は暫く放心した後、幼馴染みと池袋の定食屋で大盛りのアジフライ定食をたんまり食べて、まるで中学生に戻ったようにはしゃぎながら帰りました。この日、何が一番嬉しかったって、結局幼馴染みとこの時間を共有出来たことかもしれません。学校にこっそりアイドル雑誌や写真集を持って行き、音楽室の脇の出窓に腰掛けてふたりで語り合った中2のあの日を思い出しました。ああ、遠し青春の日々よ。
そも元来ライブというものの醍醐味の中には、同じ存在を愛する仲間とその“場”の空気を共有するといった要素もあるわけで。ずっと体感してみたかった“嵐のライブの空気を仲間と共有する”という感覚を味わえたのだからそりゃこの上ない幸福に決まっています。


次嵐が“嵐”として活動を始めるのはいつになるかわかりません。来年かもしれないし、5年後かもしれないし、10年後かもしれない。日本初のおじいちゃんアイドルグループが爆誕する可能性だって否定できない。そんな現状に陥るまで、僕は茶の間ファンから脱することが出来なかったけれど、あの素晴らしい映画作品のおかげで茶の間ファンとしての自分の18年間が、やっと報われたような、誇りに思えるような気持ちになれました。
円盤が出たら勿論買うし、もしもこれから観に行く! これから近くの映画館で上映が始まる! というような方がいたら是非! 何も心配せずに体験してほしいと思える作品でした。本当に良い映画だし、良いライブ体験でした。


ところでこれは余談なんですが、僕らが観に行ったタイミングは都内ではそろそろ上映終了の時期だったので売店のグッズの品揃えがだいぶ危うくなってきており、メンバーのマーベラスなライブ場面写真を配したクリアファイルが寡少だけ展示されていたのですが、そのラインナップが何故か我が自担相葉雅紀さんのみだったんですよね。どうして??? まさか売れn……まさか、ね……?(勿論買いました)

(劇終)




5×20 All the BEST!! 1999-2019 (通常盤) (4CD)

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  • ジェイストーム
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