偏好文庫-「好き」を解釈し続けるメディア-

いろんな“好き”を愛するための(ひとり)メディア、偏好文庫です

僕がソシャゲの楽しさがわからないのは、広告のせいかもしれない

■これまでのあらすじ

ロッキン、中止になって残念ですね。どうも、ロックバンドのオタクこと店主です。なんだかディストピアみたいなこの夏、共に乗り越えていきましょう。がんばれにっぽん。

以前こちらで以下のような記事を公開したのですが

僕がソシャゲにハマれない3つの理由―誰か僕にソシャゲの楽しみ方を教えてくれ - 偏好文庫-「好き」を解釈し続けるメディア-

親切なTwitterのフォロワ~氏の中でもソシャゲの沼で見事なクロールを披露する猛者達よりリアクションが来たので満を持してご紹介させて頂こうと思います。と言っても僕の怠惰と忙しさにかまけて随分と間が開いてしまったので軽~くおさらいさせて頂くと、

友人の多くがソシャゲをやっており、その影響でそれなりの知識と推しが出来てしまったものの、いまいちソシャゲの楽しさが理解出来ずハマりきれなくて続かない……すぐアンインストールしちゃう……という状態が長い僕。そんな中途半端な気持ちではレッドオーシャンたるソシャゲ村を統べる神々に対し失礼だろうとの思いに至ったため、

①大半のソシャゲに通じるルールや用語を教えてくれ
②課金との上手い付き合い方を教えてくれ
③ソシャゲを楽しむ皆さんのところの、それぞれの本丸やカルデアなどでの自分とキャラクター達との関係性を教えてくれ

といった3つのポイントについて詳しいひとに教えてもらおう!

という事になっていたのでした。

とはいえ始めたばかりの方向性ユラユラ、知名度ゼロのうまれたてブログですのでそれ程沢山リアクションが来たわけではありません。数としてはたったの4人だったのですが――その内容と文才があまりにも炸裂しており、皆さんそれぞれが取り組むソシャゲという“作品”への熱意をひしひしと感じましたので、出来るだけ丁寧にご紹介したいなと思っております。

あ、君、もしかしてタイトルがちょっと気になってタップしてくれた感じ!? 慌てないで、物事には順番というものがあります。安心してくださいね、意味深なタイトルに関してもしっかり回収しますので少々お待ちを。

まず最初に、店主マシュマロより頂いたソシャゲ愛好姉さん(仮)達からの様々なご意見をご紹介させて頂いてからにしたいと思います。

■姉さん(仮)達からの様々な意見

まず最初に上記で触れた①、②に関してですが……こちらは正直ゲームによって用語が変わったり、個人のその時々のお財布事情によっても変わってくるものなのだろうなあと思うので個人的に学ばせて頂くに留めます。

とりあえずよく耳にする「ピックアップガチャ」ってやつは特定のキャラクターにまつわるアイテムなどが出やすくなるイベントだそうで、推しに関するピックアップがあった時は上手く引ければ新しいストーリーが読めたり新しい衣装が手に入ったりするようですね。そこに重点的に課金するために普段は慎ましくプレイしていくなどの工夫が必要なようですし、前回のエントリーで以下のような事を僕は書いたのですが、

ガチャは推しを一度出すための課金、いわばギャンブルですが、ライブには一度数千円出せばあとは自分のスケジュール調整力次第。まず確実に行けます。確実に目の前に存在する推しをこの目で観られる、課金としては抜群のコスパだとは思いませんか。


別にガチャも「推しを一度出したら終わりのギャンブル」というだけではなく、「頑張って出せれば最新の推しの姿が更新される」という点において我々がライブに通うのと同じように分散的な喜びとなり得るようです。これは正直目から鱗だった……自分が身を置くメインフィールドとわざわざ比べて、どうにも虚しい賭け事みたいな言い回しを使ってしまった。申し訳ないです。

んで、最も興味深く、今回特に重点的に話したいと思っているのが③に関してです。

前回のエントリーでもお話したのですが、ソシャゲの中で取り扱われるプレイヤーとキャラクターとの関係性としての設定でよくある「マスター・アンド・サーヴァント」関係。僕はこれが苦手。例えば推しキャラがアイドルで僕がプレイヤー=マネージャー=雇用主に近い存在である設定の作品だったとすると、どっかしらで推し=従業員から“媚び”に近い接し方をされてしまうのではないかと思ってしまうんです。こちとら90年代バンドブーム生まれゼロ年代フェスブーム育ち、ステージの上のロックミュージシャンを見上げて育ったのでかわい子ちゃんにも「プロデューサーさん♡」されたくないなあって。恋は追われるより追う方が好き、推しにも当然追われる方であってほしいんです僕から見て。

だがしかし。僕のこの頑固なこだわりはソシャゲの一側面しか見ていないが故の徒労に過ぎないという事が今回のアンケートでわかりました。
ソシャゲのプレイヤーとキャラ、別に必ずしも「マスター・アンド・サーヴァント」にならんでもええのや。

ここからはご回答頂いた皆さんの名文を引用しつつ、「私と推し(キャラ)」の距離感や関係性を4つの傾向に分類してみたいと思います。

■ロッキン2万字インタビュータイプ

まず最初にご投稿くださったお姉さん(仮)はイケメン役者育成ゲーム「A3!」のプレイヤーなのだそう。最近めっぽう2次元に疎くなってしまった僕でも聞いた事のある作品です。昔下北沢でコラボイベントやってましたよね……?
お姉さん曰くこの作品の中でプレイヤーは「監督」と呼ばれるそうで、おそらく一般的には我々はプレイ時にその「監督」に成り代わって物語を進行していくのかなと思うのですが、お姉さんはどうやらそういう自己投影はしていないようなのです。どういう事なのでしょうか……?

ゲームを進める上でのプレイヤーで「監督」というキャラクターが出てきますが、私がプレイする際には「私(自分)=監督」ではないと思ってプレイしています。もちろん、「私=監督」と思ってやっている人もいますが、私はどちらかというと「俳優のファン」として彼ら(本編に登場するキャラクター達)のことを見ています。ストーリー上で監督に向かって話しかけてくる部分はアニメを見ている感じというか、画面の向こうから眺めているような感じです。ロッキンの20000字インタビューとか読んでる感じにも近いかもしれません。
私はインタビューを読んでるけど、インタビューをしているわけでもないし、バンドマンが私に話してくれているわけじゃない。でもインタビューを読めば本来知り得なかった彼らのことが見えてくる。
ファンとしてそのインタビューを見たいので、パーソナルストーリーを読むために私はガチャを回しています。長文乱文失礼しました!

(少し編集を加えた上、該当箇所のみ全文掲載しています)

なるほど、めちゃめちゃわかりやすい。そしてあなたのその眼差し方、めちゃめちゃ好きです。

「ゲーム」という構造上、その物語の中に没入=物語の登場人物にならなければいけないものなのだと僕の固い頭は思い込んでいたんですね。しかしこの「ロッキン20000字インタビュー」的なスタンスなら、別にその物語の中に自分を無理矢理位置づける必要性はない。少し離れた場所から適切な距離で、推しの活躍や歩んできた人生を見つめる事が出来る。「追われるより追う方が好き」なオタクになんとぴったりなスタンスかと目から鱗が落ちる視点でした。

■コンテンツ黙示録タイプ

お次のお姉さん(仮)からはかなり熱烈な文章を賜ってしまいました。ですので、該当箇所をほぼ編集なしで掲載させて頂きたいと思います。個人が特定されるような要素はないかと思いますが、身に覚えのある方はどうかお許し頂けましたらと……。

アイドルマスターシンデレラガールズというソシャゲを愛しています。このソシャゲはリアルライブも開催され、人気キャラは『ボイス』を獲得し、ゲームから飛び出して目の前で歌って踊る瞬間の多幸感は言い表すことの出来ないものです。ゲーム内では毎年人気投票に基づいた総選挙が開催され、無情なランク付けが行われる中で輝く番狂わせとその後のリアルライブでの歌唱は現実とリアルがリンクした正にシンデレラストーリーで、涙涙の檜舞台です。サービスが始まって今年で10周年。190人以上のキャラクターが登場し、『ボイス』を得たのは半分にも満ちませんが彼女達は悲喜こもごも何もかもひっくるめてライブでシンデレラの魔法をかけてくれます。挫けてしまったユーザーの屍を乗り越えて響く歌に一抹の侘しさを感じながら、ここまで自分が生き残ってきたことに自画自賛し破天荒なこのコンテンツの行く先を見届けることが先人達への弔いになることを信じています。

(一部改行を加えて該当箇所を全文掲載しています)

最早文学。いや、お姉さん(仮)の文章も勿論なのですが、このスタンスで接するコンテンツって、もうそれ自体が“文学”じゃないですか?

おそらく個人差はあると思うのだけれど、小説や漫画を読む時って大半のひとが物語を少し引いた目線、言わば“神の目線”から見ているんじゃないかと思うんです。それは三人称(彼/彼女/そのひと、などが主語)で綴られる物語が特に顕著かと思うのだけれど、たとえ一人称(僕/俺/私その他)で綴られた物語であったとしても読者はあくまでも“物語”という構造を楽しんでいるという点では“神の視点”なのだと思うのです。じゃなければ推しキャラが死んだ後の物語なんか読んでられませんしね。

その眼差しからはまるで、無力に世界を見つめ、脳内に黙示録を刻み込むような静謐な快楽を感じます。何処へ転がるかわからないゲームというコンテンツ=物語の行く末を目に焼き付けたいという欲求は、「一度開いてしまった本は最後まで読み切りたい、登場人物の行く末を見届けたい」と情が移ってしまいがちな本読みの僕にも理解が出来ます。それは熱烈な愛情か、はたまた純粋な全能感か。

■流されエンジョイ(時々夢妄想)タイプ

お次のお姉さん(仮)は、「偏好文庫のファン」と公言してくださっているお姉さんです。ご愛顧誠にありがとうございます。更新が亀通り越してカタツムリレベルでごめんなさいね……。
「ソシャゲをぶん回すタイプのビレッジマンズストアのオタク」とのことで、キャラクターとの絶妙な距離感がこちらも参考になりました。以下、ほぼ編集なしで掲載させて頂きます。

ゲーム内で示されている関係性を主軸にして遊んでいるため、私は彼ら(キャラクター)のクラスメイトだったりマネージャーだったり様々です。
基本ソシャゲの主人公は無口なので空想し放題ではあるのですが、下手に空想すると公式との解釈違いが起こったりするので、流されるままにストーリーを受け止めています。
そうするとだいたい、何事にも冷静に応じがちな主人公が出来上がります。
が、根っからの夢女(推しとの恋愛を空想して楽しむ人間の俗称)でもあるため、空想の時は主人公キャラと同じ時間軸を過ごしてきた別人格を用意し、推しキャラとの恋愛に思いを巡らせたりもします。ご都合主義的に人格を繰り出しています。

(一部編集を加えた上で該当箇所をほぼ全文掲載しています)

なるほど! これはひとつ前の「コンテンツ黙示録タイプ」に近いかもしれない。確かに変に空想しすぎてしまうと思い込みに繋がって、いわゆる「解釈違い」とやらに悩まされなければならなくなってしまいますもんね。もしかしたらこのスタイルは「ありのままの彼ら(キャラクター)の物語を純粋に楽しむ」を軸にしている点において「ロッキン2000字インタビュータイプ」にも近いかもしれないですね。さすがはビレッジマンズストアのオタク。

恋のときめきなんぞは必要になった時に随時プラスしていけば良いというのもとても合理的ですね。

因みにお姉さんは今人気の「あんスタ」と「ツイステ」をプレイされているそうで(さすがの僕でも知ってるレベル!)曰く「どちらも恋愛要素がなく、主人公とキャラたちの間に上下関係が無いように感じます」との事でした。
いやまじで……? バキバキに乙女向けだと思ってた……そんなにフラットな構造のゲームなん……? 僕、正直“女性向けソシャゲ”と“乙女ゲーム”って近しいものだと思っていたのだけれど、もしかしてそのふたつの間にはドーバー海峡並の乖離があるのか……?

■没入自己投影タイプ

最後にご紹介するのは、実は前回の記事で少し触れた「ボーナスを注ぎ込んで推しを引き当て、ツイートをバズらせた友人」からの投稿です。以下が該当のツイート(掲載了承済み)。

この友人は絵描きでかなり長い付き合いになるのだけれど、めちゃめちゃ文才があるので、一旦とりあえず読んでほしい。ちなみにプレイ作品はFGO。ほぼ編集なしで掲載します。

記事で触れて頂いたようにインド叙事詩の英霊に傾倒する私の主力メンバーはまさにインド。毎日がダンサブル、勝利の後は間違いなく全員でダンス。
カルデアは「人の未来を守る機関」であり「今の人の世界を守る為にもしもの世界を潰していく機関」です。重い。正義の為に他の正義を潰すのは辛すぎて毎回胃が痛いです。でももともと私は「私を好きでいてくれる人が好き」なので、そういう人がいる世界を結局優先すると思う。とか考えることもあります。
私はだいぶ感情移入型なのでかなり没入してストーリーを楽しめる得な人間であり、妄想を得意とする腐女子なので、自分のカルデア(以後、弊デア)妄想がそれはもう楽しい。
弊デアの私は人類最後のマスターだけど責任感に弱いし酒に救いを求めるし、喋りたい時と黙りたい時の差が激しいし…みたいなリアルそのままの感じなので、サーヴァントに助けてもらってる所が心理的に他マスター以上だと思うんですよ。
でも普段は楽しくありたい。真面目な事は真面目な場面その瞬間に考えればいい。馬鹿になって酔っ払ってヘラヘラしていたい。弊デアの主力メンバーは多分、そんな私を叱りつつ、呆れつつ、否定しないサーヴァント達だと思うんですよね。ほぼみんな善属性だし。
マスターとサーヴァントだけど、弊デアはビジネスライクには全然なれなくて、でも皆がなんとなく「もう、しょうがねーな」って許し合えて、喜怒哀楽を出しても誰も咎めないし咎められない、そんな所なんですよ。

(一部編集を加えて該当箇所をほぼ全文掲載しています)

もうさ……コイツ、昔から創作もやるし(なんなら合作してた事もあった、結局その作品はエタってしまったけれど。良き青春の黒歴史)良い二次創作も描くのだけれど、それは多分これだけ作品に没入出来るからなのか~! と思ったよね。感情がデカい。わかる、わかるよ。僕もクソデカ感情持ちのオタクだもの。

それにしても、彼女のこの投稿が全てを象徴しているなと思うのが、作品(ゲーム)に愛を持ち、自分のスタンスを明確にしていったり自己投影/妄想をたくましくしていけばしていく程に、画一的な「マスター・アンド・サーヴァント」関係やイケメン/美少女ハーレムウハウハ関係から乖離していくものなのだなあという事ですね。

彼女にとっては“弊デア”のメンバーは部下やなんでもお願いを聞いてくれる使い魔みたいなものではなくあくまでも仲間であり、家族のような、支え合い寄り添い合う存在なのだと思います。

ここまで紹介させて頂いてきた他のご意見も結局そう。その作品(ゲーム)のキャラクターを「追いかけるべき憧れの存在」や「行く末を見届けたい、慈しみたい存在」などそれぞれ違った目線で見つめており、総じてその眼差しは温かく慈悲に溢れているように思えます。


ここまで皆さんのご意見を伺ってきて知ったのが、ソシャゲってやつにはRPGのような決まった大きな物語の流れはなく、大まかな設定だけがあり、随時イベントストーリーやガチャで当てたら見られるみたいなサイドストーリーが更新されていく、といった仕組みのものが大半みたいです。言ってしまえば行間読みまくり、妄想しまくりが可能なわけで、より自由度の高い娯楽であると言えます。そりゃ、楽しみ方は人にもよって変わってきますし、作品の設定によっても変わってくるはずです。言わば無限の楽しみ方があるのがソシャゲなわけで……



え、ちょっと待って。
じゃあ、どうして僕はこんなにも、ソシャゲのプレイヤーとキャラクター=「マスター・アンド・サーヴァント」関係or「ハーレムウハウハ以下略」みたいな関係なのだという、画一的な思い込みを持ってしまったんだ……?



■僕の“ソシャゲ観”、広告に左右されすぎ…?

で、色々考えたんですけど。

僕のこの、いささか偏った“ソシャゲ観”が育ってしまったきっかけって、アレのせいだと思うんですよね。

そう、ネットでよく見かける、Twitterとかでもよく見かけるあの、ソシャゲの広告です。


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(※画像はイメージです。キツモザかけても尚うっすらと見える女体)

実在する作品の事は悪く言いたくないので実在の例は敢えて出しませんが(ゲームはクリエイターの魂の結晶だと思っているので……)、多分みんな同じものをイメージしてくれたのではないでしょうか。実際こんな記事(ツイート)もあるぐらいなので、ある種一定の求心力が望める広告の形態として確立されているのだと思います。

まあそりゃ釣られますよ、みんなイケメン(または美少女)もおっぱいも好きだもんね。僕もそう。イケメンも美少女もおっぱいも好き。だからこそなのでしょうね、この世のありとあらゆるソシャゲに対して、「イケメン(or美少女)=擬似的恋人」か「おっぱい=性的客体」を提供してくれるサービスである、と無意識下に植え付けられてしまったのだと思うんです。決してそんな事はない、それだけじゃない、作品によってストーリーも楽しみ方も違うのだと言うことはオタクの想像力を活かせばすぐにわかる事です。でもこの広告って、少しでもネットに触れていれば毎日毎日目に入ってくるんですよ。ある種サブリミナルですよね。それによって植え付けられてしまった認識ってもんは、意外としぶとくてしかも本人にはなかなか気づけないものです。マシュマロに投稿くださったお姉さん達、僕の中に植え付けられてしまった偏見と向き合う機会を有難う。


めちゃめちゃ私事なのですが、正直僕自身、今イケメンも美少女もおっぱいも好きとは言ったのだけれど、いわゆる恋シュミ的なゲームで提供される「女として愛される」「男として求められる」みたいな(しかも不特定多数の美形に)シチュエーションに萌えないんですよね。自分はノンバイナリーなので触れ合ったり憧れたりする対象の性別をあまり意識する事がない(し、したくない)というのもあるかもしれませんし、やっぱり「追われるより追う方が以下略」のせいかもしれませんし。だからこの、性別二元論的&恋愛至上主義的広告に、うっすら嫌悪感すら抱いてしまっていました。


では何故そんな広告が多いのか? それはやっぱり、恋愛とえっちなものは金になるからなんじゃなかろうかと思います。この世に溢れる恋愛ドラマ、恋愛映画、いくら月9で恋愛モノが放送されなくなったとは言え一向になくならないじゃないですか。若手のイケメン俳優やジャ︎○ーズは必ずと言っていい程キラキラ少女漫画原作映画に出ますし。

えっちなものに関してはそもそも性は人間の三大欲求に密接なものですからね。

僕みたいなヤツの方が少数派で、世間一般の多くの皆さんは恋愛に伴ってセックスもしますしなるべくおっぱいの大きい女の子達にちやほやされたいのだと思います。
だからきっと、広告としては効果的なのでしょう。いささか短絡的にも思えますが。


今でこそ極端に悪い偏見は減ったように思えますが、昔、ご時世的にオタク=犯罪者予備軍というイメージが強かった時代には、ロックンロールオタク少年だった僕はテレビによって作られるオタクの悪いイメージに噛みつきまくっていた事もありました。年齢がバレるな。
でも結局、僕も所詮はあの頃の大衆と一緒だったのだと思います。無意識下に刷り込まれた短絡的な印象を、そのまま受動的に受け止めていただけだった。

■先入観を捨てよ

以前とある友人を初めてライブに連れていった時に、とても楽しかったと感想を伝えてくれたのと共に「ライブハウスってリア充が行くところだと思ってた」と打ち明けてくれた事がありました。もともと陰キャのオタクだった僕自身も昔はそう思っていたのでその気持ちはめちゃめちゃわかりました。

でも意外と、ライブハウスに出入りしている音楽好きにはオタク気質のひとも多いように感じています。その証拠に、バンドやシンガーソングライターのファンダムって意外と昔からファンアートが盛り上がってるんですよね。オタクは往々にして絵を描きたがるので。

結局僕がソシャゲに対して抱いていた「ヘテロの男女が」「理想の異性を我が手で育て上げ」「育てた理想の異性に囲まれてちやほやされる」事を期待して行う、というイメージも、その友人がライブハウスに抱いていた「リア充が集まってなんか音楽に合わせて踊る」みたいなイメージと同じだったのだと思います。コンテンツの楽しみ方には無限の多様性があり、沼に潜ったひとに聞いてみないとその本質はわからないのでしょう。

(一方で、ゲーム自体の構造もそういう「ヘテロの男女が」「理想の異性にちやほやされる」事を求めてプレイされる事を前提としているものがやっぱり多いな、とも感じるのが正直なところです。だってじゃなかったらここまで提供されるキャラクターが美少女だけ/イケメンだけの作品が多い事ないですからね。やはり疑似恋愛的な要素はビジネスとして成功しやすいでしょうから、そういう風潮がある限り作品自体も恋愛至上主義的&画一的な広告を暗黙のうちに良しとしてしまうしかないのかもしれません。その点でFGOってすごいよな、サーヴァントの性別もルックスも多様性ありすぎだもんな)(最後までチョコたっぷりだもんな)(また世代がバレる)

街で見かける広告、テレビから流れるCM、そのすべては計算し尽くされていて、良い意味でも悪い意味でも見るものの無意識下にするりと入り込み、その商材の印象を巧みに植え付けます。多分僕達の身体の中にはそうやって植え付けられた無数の先入観が詰め込まれていて、そのせいで頭ごなしに排除してしまい、魅力に気づけないまま眼中から消えてしまった作品やコンテンツが、この世には無数にあるのかもしれません。それってかなりもったいない。

今一度、無意識が作ったくず箱をひっくり返して、無数のデブリの中から星くずのようなコンテンツを探し出してみたくなったアンケートでした。ご協力、本当にありがとう。



さぁてそうと決まればとりあえず今回投稿くださったお姉さん(仮)達お薦めのなんらかのゲームをDLするところから始めようかなと思いつつ、この記事を編集し始めて早2ヶ月程。






あの……めちゃめちゃ言いにくいんですけど……まだアプリストアで検索すらしてません……。
何故なら、生活の中でソシャゲに割ける時間がないので……。


実は自分、小説を書いているんですね。「女体化する宇宙人のベースボーカルと陰陽師のギタリストと魔法少女(♂)に変身出来るドラマーとクソショボ超能力者のギターボーカルの4人組バンド」が登場する一応ジュブナイルSFなんですが、ある種ロールプレイング的な“架空の人間との関係性の構築欲”みたいなものはここで満たされちゃってる可能性すらある気がします。(良かったら読んでってくれ~!!!


そのせいか毎日の中でソシャゲに割けるリソースがなさ過ぎる……もしかしたら、これこそが僕が昔からソシャゲに限らずゲームのプレイを続けられない最大の原因かもしれません。完全に言い訳ですね、許して。


とかくオタクの毎日は忙しすぎる。助けてくれ~!