偏好文庫-「好き」を解釈し続けるメディア-

いろんな“好き”を愛するための(ひとり)メディア、偏好文庫です

ROOTS FACTORYの“あの椅子”と、あの子と過ごした下北沢の午後-(いつか)欲しいもの/欲しかったものリスト①

「(いつか)欲しいもの/欲しかったものリスト」とは……いつか欲しいもの、いつの日か欲しかったものについて書くささやかな半ノンフィクション短編小説シリーズです。

 

「店、どう?」最近訳あって地元から少し離れた街へ引っ越した友人が、少しだけ僕を見上げて言った。4月の終わり、気忙しい夏がうっかり追いついてしまったかのように暑い午後だが、日陰に吹き抜ける風はまだ若葉の匂いがした。

「まだ全然よ。知り合いの編集者さんとか絵描きはSNSとかでもめっちゃ推してくれてるけど、やっぱ前途多難さね」自虐混じりに返す。緩やかに靡く友人のチェック柄のロングスカートの裾に視線を泳がせる。もしかしたら今僕は、もうすぐお嫁に行くこの子の恋人にでも見えていたりするのだろうか。

最近、本屋を開業した。貯金がある程度溜まったのと、憧れて就いた編集の仕事が思っていた以上にハードだったため心身を少しおかしくしてしまったのが重なって、ほぼ勢いに任せて会社を辞め、物件を買った。地元から数駅の、郊外の寂れた路地裏にある小さな小さな路面店。本当は今来ている、大好きな下北沢に店を構えたかったが、流石にそんな経済力も勇気もなかった。家も店の2階のささやかな六畳間に引っ越したのでローンのほかに家賃を払う必要は幸いなくなったが、それにしても狭いし生活の基盤が不安定すぎる。今は社会人になってからずっと細々と続けてきたライター業でほぼ生計を立てている。知り合いの絵描きや物書きの作品や、世界中からネットを介して集めてきたこだわりの蔵書たちは一向に売れない。1文字0.5円の仕事でも、ハッタリばかりの恋愛コラムでもなんでも請けるしかなかった。

「コロナがなきゃねえ」しみじみ、というふうに友人が言う。どうせ、この歳になってコネもなくライターとしてもさして名が知られてもいない人間が営む本屋など、このニューノーマルの世の中でなくてもすぐには軌道に乗らなかったろうとは思うが。僕は友人の精一杯の善意に甘えて曖昧に笑う。友人はかつて作家を目指していた僕に、「いつか君は直木賞を獲る」と言い続けてくれた。

「でもさ、アップルもジョブズの自宅のガレージから始まったって言うぐらいだからさあ、これからいくらでもでっかくなれるよ!」「ありがと。君良い友達やなあ」それほどでも、と照れてみせる友人が、古着屋の店先のセール品から引きずり出した柄シャツのどぎつい幾何学模様が青空に映えた。

路地に一歩入り、宛もなく歩き回る。どうせ20時には大体の店が閉まってしまうから早いところ夕餉の場所を探さなければ……とズボンの尻ポケットからスマホを取り出しかけ、僕は思わずそのままスマホカメラを目の前の物体に向けてしまった。

そこには、小さな看板が控えめに立っていた。


f:id:HenkoBooks:20210626004321j:image

“あの椅子、あります”

「あの椅子……って、なんだ?」思わず口をつく。友人も僕の視線の先を辿って、同じく首を傾げた。「知らない、どんな椅子?」

僕はあまりの怪しさに少し懐疑的であったが、友人がたいそうノリノリで看板が導く更に細い路地を覗き込んでいたため、そんな怪しさ満点スポットに嫁入り前の女子ひとり送り込む訳にはいかないのでついて行ってみる事にした。でもなんかこれ、見た事ある気もする。脳裡を過るのは某ベテランお笑いコンビがいわゆるナビゲート役を務めるのんびりモヤモヤした街ブラ番組だ。多分そう、あれで見た。だからきっと、大丈夫だろうけど……。

年季の入ったアパート風の店構えの前に差し掛かって、友人が元気に言った。「あ、あの椅子だ!!!」

「だからどんな椅子!?」要領を得ないリアクションに思わずツッコむと、開け放たれた白い扉の奥からにこやかな声が飛んできた。

「いらっしゃいませ!」

 

小さいながらも開放感のある板張りの床の店内には、白い壁に映える木目調の家具がゆったりと、幾つも並べられていた。店の中央には棚が設けられ、そこには“あの椅子”――「モンペスツール」がショーウィンドウのケーキのように可愛らしく陳列されている。


f:id:HenkoBooks:20210626004726j:image

すみません、外の看板を見て来たんですけど、と話すと、店のお兄さんは爽やかな笑顔をより一層晴れさせてそうでしたか、と頷いた。照りつける西陽が和らぐように、心に一陣の風が吹く。

「こちらが“あの椅子”です」と紹介されたモンペスツールは、正方形に近い形状のコロコロとした小さな椅子。申し訳程度の木製の脚がちょこんとついていて、体重をかけたら折れてしまうのではないかと少し不安になる程の可愛らしさだった。

呆気にとられる僕と“あの椅子”の想定外の可愛らしさに表情を目に見えて明るくさせた友人に、お兄さんが「可愛いでしょう?」と言う。

「こちらは日本人の生活スタイルによく合う形に作られた超低座スツールで、畳敷きの部屋でもローテーブルに合わせてもすっと馴染む高さと大きさが特徴なんです」

確かに、この高さなら床にそのままベタ座りするよりも清潔だし、畳に正座するよりも足腰への負担が少なそうだ。試しに友人に座ってもらったが、スカートの女性が座っても裾をそれ程引きずらないで済む程度の絶妙な高さ。


f:id:HenkoBooks:20210626005056j:image

「色もいろいろあって、それぞれに名前もついてるんですよ」

「ほんとだ、カステラとかフラミンゴとか、お菓子みたい」友人が愉快そうに言った。確かに、見た目も焼き菓子やキャラメルのようで可愛い。テーブルに合わせるような足の長い椅子を畳敷きの和室に置いたら勿論浮いてしまうだろうし、今自分が住んでいる狭い狭い部屋に突然お洒落な椅子を置くとなると抵抗があるが、これなら気軽に取り入れられそうだ。

「当店は家具のリメイクやオーダーメイドをメインに取り扱っているんですが、モンペスツールのようなオリジナル商品も淡路島にある自社工場で作っています。デザインも社長自ら手がけてるんですよ」

えっ社長すごい。思わず口をついて飛び出してしまい、お兄さんの口もとを少し綻ばせてしまった。お兄さんは続けて「女性のデザイナーとかだと思いました……?」と問いかけてくる。「正直、そう思ってます」と大真面目な顔の友人が返すと、お兄さんはとっておきの秘密を教えるかのように言った。

「実は、おじさんがデザインしてるんですよ!」

茶目っ気溢れるお兄さんの案内で店の中もよく見せてもらった。直ちに購入するつもりでやってきた訳でもない若人ふたりに対してとても優しい。まさか、新居に置く家具を探している新婚カップルだとでも思われていなければ良いのだけれど。そんな事があれば、とてもじゃないが彼女の好いひとに申し訳が立たない。

シックな応接セットからおもちゃ箱をひっくり返したようなビビッドな色合いの姿見、古い箪笥をリメイクしたテレビ台など、店に置かれていた家具はどれもお洒落で、特にリメイク品は家具がそれまで生きてきた歴史が失われていない、独特の味みたいなものがあって素敵だ。なんと、過去にはDJブースからレコードラック、お仏壇まで製作に携わった事があるのだという。


f:id:HenkoBooks:20210626005247j:image

友人が「脚だけ赤くて可愛い」と言ったテレビ台は、もともとは大きな箪笥の一部だったらしい。お兄さんの説明を受け、友人は両親にも薦めます、と言った。

「こういうのも良いなあ、母が嫁入り道具の箪笥を持て余してるので……」

つられて僕も、実家に天板が膨張して開かなくなってしまった母の嫁入り道具の和箪笥がある事を思い出した。

中でも異彩を放っていたのがこれだ。


f:id:HenkoBooks:20210626005319j:image

なんだと思いますか、というお兄さんの挑戦的な問いに対して、「……ス?」と真っ向から受けて立つ友人。そら見りゃわかるやろ、と思う僕の脳裡に天啓が訪れた。まさか、これは“ス”の椅子――「スイス」ではないか!?

お兄さんはにっこりと微笑んで、まるでイキリ腐った小学生クイズ王のような勢いで回答してしまった僕に親指を向けた。「正解!」

 

ねえ、私あの椅子君の部屋に似合うと思うの。友人が朗らかに言う。どうせスイスの事だろうと思ったら、やはりそうだった。流石にあれを自宅に置くのは少し気が引ける。

店を出るとすっかり陽が傾いていた。いつもは駅前の方から路上ミュージシャンの歌声が聞こえてくるものだが、緊急事態宣言の影響かこの日は怖い程静かだ。夕陽が完全に姿を隠してしまう前に、適当な食事や酒を嗜める店を探さなければならない。

f:id:HenkoBooks:20210626005709j:image

「それより君はどうなんだい? 新居の家具は足りてるのか」「さすがにもうミカン箱でお夕飯食べたりはしてないけれど」「お洒落な椅子ぐらい1個2個、彼とお揃いで置いてみたらどうだ」

まるで自社製品でも薦めるように言ってしまうのは、多分僕も“あの椅子”が欲しいからだ。しかしいわゆる天然なところがある振る舞いに反して堅実主義な彼女は「うちのひとと相談してからかな……」とワンクッション置く。確かに、お値段はそれなりに張った。あれだけこだわりの詰まった家具として考えれば嘘のように手頃だが、衝動買い出来る程景気も良くない。でも、なんだか僕は“あの椅子”が、あの狭くささやかながらも初めて持った僕の城の焼けた畳に無理矢理敷いたオンボロのペルシャ絨毯の上に、2個3個と並んでいるさまを鮮明に想像する事が出来た。そこに腰かけ談笑しているのは、今僕の隣でコメダ珈琲店に行きたがっている、もうすぐお嫁に行く彼女……そして、いつか共に青春を過ごした旧い友人たち。

 

世の中に絶対なんてないけれど、僕はいつか、“あの椅子”を絶対に買うのだろう、と思った。

 

洗練されたデザインのイタリアの高級家具に幾度憧れようとも、オンボロな我が城(六畳間)に置いてあるさまなんてまったく想像出来なかった。でもこの日、僕には生まれて初めて憧れの家具が出来た。友人には申し訳ないが、直木賞の受賞会見で質疑応答を受ける自分の姿なんてまったく想像出来なかった。でも、この憧れの街にあるヴィレッジヴァンガードで大勢のファンに囲まれ、自著にサインをする自分ならかろうじて想像が出来る。その程近くの雑居ビルの一角に、幾分か大きくなった自分の店を移転させて奮闘する自分の姿も。

憧れとは、ほんの少しの具体性に宿るものなのかもしれない。

 

(劇終)

 

■今回の(いつか)ほしい物

「ROOTS FACTORY 東京店 SHIMOKITA BASE」の「モンペスツール」

お邪魔した店舗:〒155-0031 東京都世田谷区北沢2-39-18

※現在平日は予約制

https://roots-factory.com/tokyo

 

■リアルほしい物リスト

(貰えるものならなんでも嬉しいです。ここにないもので店主に布教したいもの、記事にしてほしいものなどありましたら送り付けて頂いても構いません。)